命もいらず/名もいらず/山岡鉄舟とのご縁

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宿泊観光
IKETOMI3

作は山岡鉄舟、幼名は山岡鉄太郎、明治21年没。天保7年生まれ。

父は六百石取りの武士、17歳で父母に死別し、山岡家の養子となる。幼少より学問と槍術・剣術を学び北辰一刀流の免許の腕。

常に静岡三島にて座禅をやり禅の道も志す。

明治維新江戸城を平和の内に明け渡し、江戸百万の市民を戦火より救った功労もも大きく、文武一体の人。彼の歴史的、勝海舟と西郷隆盛との会見は事前に西郷・山岡の下交渉で決められていた事の確認だけでそれほど緊迫した談判では無かったらしい。

鉄舟は将軍慶喜から命を受け静岡に陣取る西郷のもとへ出掛けて西郷と互角に渡り合った。

鉄舟の気迫に西郷も感じ入ったとか・・明治天皇から清水次郎長に至るまでの幅広い交流は人を引き付けて止まない彼の人間的な魅力を表している。すぐに書を書かれるので金欲しさと陰口をたたく人もあったとか・・


この書幅の詩は静かな水辺の風景を歌った七言絶句四行詩である。一夜の宿を求められ、時の主人、林 富三郎の所望で書かれたものです。為林氏の記述があります。

西郷隆盛曰く彼を評して「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業はなし得られぬ也。」と

晩年の彼の足跡は、ほぼ歴史に残っておりません・篠山の歴史書にも公式の記録は残っておりませんでした・

山岡鉄舟氏の晩年に於きましてご教授いただければ幸いです。


普段は公開しておりませんが、ご希望がございましたら・


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料理旅館 池富

住所:兵庫県丹波篠山市立町125番地

電話番号:079-552-0064

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